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​アーユルヴェーダの歴史②

さて、アーユルヴェーダの最も古い記述はアタルヴァヴェーダだと書きましたが、そもそもその内容は誰が考えたものなのでしょうか。

アーユルヴェーダを創造したのはブラフマだとされています。

​ブラフマはヒンドゥー教に登場する神様の中の1柱で、万物を創造した神様だといわれています。(諸説あり。)

​ブラフマ自身の解釈の仕方には多くの説があるので深く言及はしませんが、とにかく、アーユルヴェーダはブラフマという神様が地上にもたらした知恵だと伝えられています。

アーユルヴェーダがブラフマ神から人間に伝わるまでには、まだ時間がかかります。

ブラフマ神からブラフマ神の子供であるダークシャ プラジャーパティに伝わり、次に双子の神様であるアシュヴィン双神へと伝わっていきます。

 

アシュヴィン双神はとても美しい神様で、インド神話においては医術の神とされています。アシュヴィン神は、神や人々の長寿・安産を叶えたり、若返りの力を持っていたり、苦難を取り除いたりしていました。人と近い距離にあって、人を治す(癒す)ことをしていた神様です。しかし人とあまりに距離が近すぎたためか、他の神々からは下に見られていたようです、個人的にはなんだか気の毒な気がします。

また次は、アシュヴィン神からインドラ神(シャクラ)へとその知識が伝わっていきます。インドラ神は日本では仏教に取り入れられており帝釈天として知られています。古くは軍神として崇められ、戦いの神として絶大な人気を誇りました。

さていよいよここで、アーユルヴェーダの知識が神から人間へと伝わってきます。神々の間では口述で伝わりましたが、人間に伝わったことで文献として残されるようになりました。

人間に伝わる際には、いくつかのルートがあります。

内科学のルート、外科学のルート、そして小児科(婦人科・産科を含む)のルートです。

内科学のルートは約5000年前、ヒマラヤ山脈で行われたリシと呼ばれる聖人たちの集まりから始まります。この集まりは世界初の医学会とも言われていますが、リシ(聖人)というのは当時では宗教上の聖人というだけではなく、医学にも深い知識を持つ人たちでした。

​その中でバハラドゥワージャという聖人がインドラ神にアーユルヴェーダの教えを請い、ここで初めて神の知識が人間へと教えられたのです。バハラドゥワージャは聖者の中でも優秀だったため、代表としてインドラ神に習いに行きました。

​インドラ神から外科学を学んだのはダヌワンタリです。ダヌワンタリは今日でも「アーユルヴェーダの神様」として有名です。

 

また、小児科学を伝えられたのはカーシャパです。カーシャパは「カーシャパサンヒター」という医学書を執筆しましたが、これは小児科学・婦人科・産科学の名著として今に伝わっています。

これら各偉大な聖人たちによって伝わり学ばれた知識はその後、チャラカ、スシュルタ、ヴァーグバタ(アーユルヴェーダの三医聖)といった優れた医者たちによって、さらに完成度の高いものへと高められていったのです。

私たちが今アーユルヴェーダの知識として知っていることの多くはこの三医聖が書いた「チャラカ・サンヒター」「スシュルタ・サンヒター」「アシュタンガ・サングラハ」「アシュタンガ・フリダヤ・サンヒター」という医学書が元となっています。(実際には多くの医者の手による加筆・編纂が加わっています。)

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